サポーターミーティング

   〜デットマール・クラマー氏を迎えて

 

                【Dettmar Cramer】

925年:ドルトムント生、82歳

1960年:日本サッカー協会の依頼で来日

1964年:東京五輪開催、これまで代表チーム指導

1967年:FIFA公認コーチとなりその後90ヶ国を指導

1968年:メキシコ五代表チームが銅メダル獲得

1975年:バイエルンミュンヘン監督、欧州チャンピオンズカップ2連覇

2005年:「日本サッカー殿堂」第一号

 

        【クラマー語録】                          

        「勝った時に友人は集まる。しかし本当に友人を必要とするのは負けた時である。

        「試合終了のホイッスルは、次の試合開始のホイッスルでもある。」

        「グランドはフットボールだけをやる所ではない。人としての修練の場でもある。」

        「フットボール・・・。それは本当に素晴らしい競技だ。何故なら子供を大人に、大人を

         紳士に育て上げる競技だから。」

「サッカーは人生の鏡である。そこには人生のあらゆるものが映る。」 

 

[サポーターミーティング]

日時:2007年5月16日(水)19時〜20時

会場:博多の森球技場1階会議室

参加:デットマール・クラマー氏、アビスパ福岡サポーター

司会:中倉一志氏

 

山本圭吾氏 (サポーターを代表し、感謝の挨拶)

クラマー氏 フットボールの親愛なる友人たちよ!

      「友だち」という言葉は「愛」という言葉と、同じような言葉です。それら二つはイタリアであってもドイツであっても

良く似た言葉であります。

フットボールの友人、フットボールというゲームを愛する人々、そしてフットボールと同じくらい私は妻を愛していま

す。

 

私は6歳の頃にフットボールを始めました。9歳からフットボールクラブに入りました。16歳でプロの選手としてプレ

―し始めました。またプレーイングマネージャーとしては21歳から活動し、その3年後には協会のコーチとなりまし

た。

現在まで90ヶ国をまわってコーチをしてきました。おそらく皆さんが考え付く国々へ出かけてコーチをしてきまし

た。例えばメキシコ、ホンジェラス、ジャマイカ、アメリカ・・そんな中南米の国々までまわってきましたよ。

そして、日本は私の第二の故郷です。

1960年、東京オリンピックの前ですが、初めて日本という国に来ました。最初はその年の10月から12月の3ヶ月滞

在したのです。

今朝、アビスパ福岡の練習場に参りました。そこで大変素晴らしい施設やピッチを見ることができました。

私は1960年10月に東京に来て、すぐに東京大学の練習場に向かいました。そこのグラウンドフィールドの状態は

雨が降り、グラウンドがぬかるみ水溜りがあり大変な状態でした。

そこで古河電工所属の保坂という選手と一緒に練習しました。走るたびに水がはね、ボールにも水が一杯含み重さ

は2kgは重くなっており、500回ほどボールを蹴りましたが最後は自分の足の感覚が無くなりました。

ペンティングというものを使ってボールを吊るしてヘディング練習する時には、ジャンプして地面に落ちると足がぬ

かるみに埋ってしまう状態でした。

今日、雁ノ巣で見たフィールドとは全く違う情景でした。

その後、2時間ほど高校(東福岡高校)の練習に行きました。そこはまだ土のグラウンドでした。

 

私の印象ですが。日本人の個性(持っているキャラクターや特徴)は今も昔も同じように思います。今週の土曜日に

釜本と会いますが、彼と初めて会ったのは彼が中学生の頃ですが、今日会った学生たちと同じ世代の頃でした。

今日の学生も釜本もフットボールに対する取り組み方は同じようだったと思います。

フットボールには前向きな側面(良いところ)と後ろ向きの側面(修正すべきところ)があります。

今日の学生も、以前の釜本たちの頃も、その早いスピードに感銘を受けました。スピード(俊敏さ)も大切ですが、スキ

ル(技術レベル)はもっと大切です。82歳の私にはスピードはありません。色んな人たちが私たちのプレーを見に来

ますが皆さん、スキルの高さに驚かれます。スピードがなくともスキルがあればボールを失わずにキープできます。

 

1960年に協会から頼まれてコーチになったのは、1964年の東京オリンピックのためです。

私はその時に確信しました。日本はヨーロッパや南米のフットボール先進国に肩を並べるにはこのスピードが必要と

思いました。そして私自身は、そのスピードとスキルが同じレベルになるように指導をしたのです。

 

今日高校の練習の後にお話ししましたが、高校のコーチ(志波氏)の指導方法は良い方向に進んでいると思いまし

た。彼は、守備から攻撃への早い切り替えのことを話していました。

ディフェンスラインから手数と時間をかけて攻撃しはじめても得点を上げることはできません。

私が指導したバイエルンミュンヘンでは、5本以内のパス交換でシュートする練習を取り入れました。それを時には3

本以内にしました。

マイヤーやベッケンバウアーなどがいたのでコーチとしては凄く楽でした。しかし社長はそれを知りませんでした。

そのことはとても爽快でした。簡単にコーチができることが社長に知られると私は給与がちゃんともらえなくなり

ます(笑い)そのバイエルンミミュンヘンでは3つのタイトルを取りました。欧州で2回。世界で1度です。

 


*バイエルン・ミュンヘンは132万人のドイツ南部の地方都市をホームに持ち。これまでリーグ戦20回、カップ戦13回の優勝、

 欧州チャンピオンズリーグで4回、トヨタカップを2回制している。クラマー監督時代にベッケン・バウアーやゲルト・ミューラーらを輩出。ベッケンハ

゙ウアーのリベロシステムは70年代のフットボール革命のひとつとも言われている。クラブ創設107年の歴史を持つ欧州の名門ク

ラブ。

 


当時は、守備から攻撃に移る早い切り替えの練習をよくしていました。チャンピオンズカップでのレアルとの対戦

ではこれがうまく功を奏しました。マイヤーからミューラーにパスし彼がドリブル突破しシュートを決める時間ま

でを10秒少しで成し遂げました。

 

68年のメキシコ五輪の日本代表の選手たちにもよく言っていたことですが、「もっと、もっと、良くなろう!」

「もっと上に行けることがわかっているなら、それより更によくしていくこと(修練すること)」

フットボールとは人生のようなものです。

もっと進歩するのであれば、もっと練習をやり続けること。労を惜しまずやる続けること。そしてそれをやり続け、

今より更に良くなることが必要です。

スキルをもっと発展させること。発展・改良させる時間を持つこと。そして時には緩急をつけること。

64年の東京オリンピックで日本代表はアルゼンチン代表を打ち負かしました。ゲームでボールをコントロールし

スピードをコントロールすることができました。